東京高等裁判所 昭和46年(う)491号 判決 1971年5月25日
主文
本件控訴を棄却する。
理由
(控訴の趣意)
本件控訴の趣意は、弁護人中西金太郎提出の控訴趣意書記載のとおりであり、これに対する答弁は、東京高等検察庁検事藤井嘉雄提出の答弁書記載のとおりであるから、いずれもこれを引用する。
(当裁判所の判断)
弁護人の控訴趣意第一、の一について
所論は、被告人は、本件公訴事実と同一の事実につき、昭和四三年五月二一日横浜地方裁判所裁判官の発布した勾留状の執行を受け、同年六月七日横浜地方裁判所に起訴されたものであるが、右被告事件については、その後同年八月一六日同裁判所において、適法な起訴状謄本の送達がなかつたものとして公訴棄却の決定があり、右勾留状は失効するにいたつた。したがつて、同一事件につき再度勾留状を発することはゆるされないところであるにかかわらず、その後、同年九月七日、前記公訴事実と同一の内容を公訴事実として本件公訴が提起され、昭和四四年二月一六日被告人は、佐世保に寄港した際同裁判所裁判官の発した勾引状によつて勾引され、翌一七日同裁判所裁判官の発布した勾留状の執行を受け、横浜刑務所に勾留されたものであるから、このように、一度公訴棄却の決定がなされて勾留状が失効したにもかかわらず、その後かさねて同一事実につきさらに被告人を勾留することは、人権に関する世界宣言九条、憲法一一条、三一条ないし三四条に違反する不法な拘禁である、と主張する。
そこで、本件記録、ならびに当審における事実取調の結果にてらして考えると、被告人がさきに本件公訴事実と同一内容の事実によつて、所論のいうように勾留状の執行を受け、かつその事実につき昭和四三年六月七日横浜地方裁判所に公訴が提起されたところ、法定の期間内に右起訴状の謄本が送達されなかつたため、右公訴の提起は、さかのぼつてその効力を失つたものとして、同年八月一六日同裁判所において公訴棄却の決定がなされ、これによつて前記勾留状も失効するとともに、他方、右公訴棄却の裁判も当時確定するにいたつたことが明らかである。しかしながら、わが国の刑事訴訟法による公訴棄却の裁判は、有罪、無罪、あるいは免訴の裁判と異り、それが形式的に確定しても、実体的確定力の外部的効力としての既判力を生じるものではないから、後日あらためて手続の不備を補正し、再度公訴を提起することを妨げるものではない。したがつて、本件再度の公訴の提起はもとより有効であり、そして、このようなばあいに当該被告人を勾留できないとする法的根拠はないから、原審裁判所が、被告人につき刑事訴訟法六〇条一項各号該当の事由があると認めるときは、被告人に対し新たに勾留状を発することができるのは当然である。
ところで、被告人は、横浜市内所在在日米海軍極東地区海上輸送司令部(以下MSTSと略称する。)に所属する海軍軍属であるところ、昭和四三年一一月六日付、同四四年二月一二日付、同月一四日付、各横須賀米海軍基地司令部法務部小宮山発の原裁判所宛電話聴取書によると、被告人は、日本国内に居住してはいるが、常時MSTS所属の軍用船に乗務してベトナム韓国等の海域を住来し、本邦に帰港する日時は予測し難く、同司令部においても、被告人の身柄の確保については、原審裁判所において収監するなどしかるべき方法をとつてもらいたい意向であつたことが認められることなどに照らすと、原審裁判所裁判官が、本件事案の性質ないし態様等をも勘案のうえ、被告人について刑事訴訟法六〇条一項三号の事由があると認め、同人を勾留したのは、もとより正当な手続であり、所論指摘の憲法各本条のいずれにも違反しないのはもとより、不当に被告人の人権を侵害したものでもないから、論旨は理由がない。
同控訴趣意第二、について
所論は、一、被告人は、本件公訴提起の時点においては、米海軍軍用船に乗組みベトネム海域にあつたものであるから、本件については日本国の裁判権が及ばず、かつ、日本国に公訴権もない。二、被告人に対する本件公訴の提起は事前に合衆国の軍当局に通告をしなかつた点において、日本国とアメリカ合衆国との間の相互協力及び安全保障条約第六条に基づく施設及び区域並びに日本国における合衆国軍隊の地位に関する協定(以下日米間行政協定と略称する。)一七条六項(b)に違反し、形式的訴訟条件を欠くものである。三、本件については被告人に対して適法な起訴状謄本の送達がなされていない。以上三つの理由により原判決は不法に公訴を受理した違法がある、と主張する。
一、なるほど、MSTS参謀長海軍大佐エイチ・ジエー・アーセテイーの回答書によると、被告人は、昭和四三年九月一日ころ合衆国軍用船に乗り組み、ベトナム海域に向かつて日本国を出港したことが明らかであるが、被告人は、前記のように横浜市内に所在するMSTS所属の米海軍軍属であり、その家族も本邦内に居住し、本件は、被告人が横須賀市内においてなしたものとされている犯行であるから、前記日米間行政協定一七条一項(b)により日本国の裁判所が裁判権を有することは明らかであつて、しかも、被告人に対する公訴権の行使を妨げるべき特段の事由も存在しない。二、本件公訴の提起に当つて、日米間行政協定一七条六項(b)の手続が履践されたか否かは必らずしも明瞭ではないが、仮りに、それがなされなかつたとしても、右協定上の義務違反の問題は別として、それが本件につきなされた公訴の提起それ自体を無効ならしめるものではない、と解する。そして、この見解は、現に記録によつても明らかなとおり被告人については、本件審判の間を通じて終始法の与える諸種の権能が保障されているし、それに原審公判廷にはその都度合衆国政府代表者も立ち会つていた事実が認められることによつても、その正当性が裏付けられるものと思われる。三、所論は本件起訴状謄本が仮りにMSTSにおいて被告人に送達されたとしても、同所が被告人に対する適法な送達場所であるか疑問があるという。しかしながら、当裁判所も、原判決が説示するとおりの理由(ただし、原判決中に「事業所」とあるのは、「事務所」の誤記と認める=五〇五丁表五行目。)により、被告人の所属部隊であるMSTSを被告人に対する正当な送達場所と考えるが、なお、この点については原判決の掲げる理由のほか、旧民事訴訟法一六七条の、「軍事用の庁舎又は艦船に属する者に対する送達は、その庁舎又は艦船の長にこれをなす。」との規定が参考となると思料する。そこで、すすんで本件記録ことに横須賀米海軍基地司令部(以下横須賀司令部と略称する。)法務部長デイ・エー・マリオの原審裁判所宛昭和四四年一月七日付、同年五月二八日付各回答書、MSTS参謀長海軍大佐エイチ・ジエー・アーセテイーの回答書、および昭和四三年九月一〇日付配達員黒川文男作成の郵便送達報告書を調査すると、被告人に対する本件起訴状謄本は、横須賀基地司令部法務部を経由し、昭和四三年九月一八日ころMSTSに回送され送達が完了したものと解することができる。もつとも、MSTSに回送された起訴状の謄本が原審裁判所の発した日本文の起訴状謄本そのものであつたか、同法務部員小宮山嘉男によつて職務上英文に飜訳された起訴状謄本のコピーのみであつたかについては必ずしも明らかでないが、仮りに、MSTSに回送されたものが英訳文のコピーのみであつたとしても、原判決の説示するとおり、起訴状謄本をあらかじめ被告人に送達することの立法趣旨に鑑み、かつ、被告人の原審公判廷の供述によつても明らかなとおり、被告人は、同年九月三〇日ころベトナム海域の軍用船上で起訴状の英訳文コピーを受領し、これを閲読して罪名と公訴事実の内容とを諒知し、同時にまた、弁護人の選任についての所要手続をとるなど被告人自身の防禦権行使に格別の不都合もなかつたことが認められるのであるから、本件起訴状謄本それ自体が被告人に送達されなかつたことの瑕疵は、いまだもつて本件公訴の提起そのものの効力を失わしめるものではないと解するのが相当である。論旨はいずれも理由がない。
同控訴趣意第四について
一、所論は、原判決は、被告人に対する本件起訴状の謄本が適法に送達されたことの証拠として、被告人の昭和四三年九月三〇日付原審裁判所宛の手紙を引用しているが、右手紙に付せられた訳文には誤訳があるのに、それをそのをま採用し、その結果、被告人が、すでに弁護人選任の手続をとつたかのごとき認定している点で形式的手続に関する誤認があると主張する。
しかしながら、被告人の右手紙に同封されて返送された弁護人選任に関する回答書には「イ、自分または家族の方で弁護人を選任します。」とある欄に被告人によつて丸印が付せられているから、これによつて被告人の意思は明白であり、原審裁判所も、また、右回答書の記載によつてその後の手続を進めたものと推察されるのであつて、所論のように、被告人がすでに弁護人選任の手続を終わつたものとして事を処理した形跡は認められない。したがつて、前記の手紙に所論のような誤訳があつたとしても、それは原審裁判所の訴訟手続になんらの影響をも及ぼすものではないから、所論は理由がない。
二、所論は、原判決の事実誤認を主張するけれども、原判決挙示の各証拠を総合すると、原判示事実はこれを証明するに十分であつて、原判決に事実を誤認した違法があるとは思われない。
すなわち、所論は、原判決は、「被告人は、本件大麻取引の仲介者らに声をかける以前から大麻を入手する意思を有していたことが認められうんぬん。」と認定しているが、本件大麻取引の仲介者は存在せず、かつ、被告人が仲介者に声をかけた事実もないという。しかしながら、フランシス・エル・エリスの昭和四三年五月二七日付検察官に対する供述調書、同年同月三〇日付被告人の司法警察員および検察官に対する各供述調書を総合すると、同年五月一三日エリスは、横須賀市内のバーで被告人とビールを飲みながら大麻の話などをしていたところ、たまたま通称チヤリーという日本人が入つてきたので、エリス、または被告人が同人に対し、大麻が手に入るかと尋ね、結局、同所の二階客室で同人から大麻入りたばこ二服分をもらつて両名それぞれの場でこれを吸飲したうえ、被告人は、さらにエリスに対して現金二、〇〇〇円を渡して、右チヤリーから大麻を買い受けることを依頼してひとり先に帰宅したこと。翌一四日被告人は、ふたたびエリスとともに大麻を入手するため前記バー付近でチヤリーに会つたところ、同人が、「大麻が手にはいるかどうか行つてみよう。」というので、それに応じ、同人の案内で付近に待ち合わせていたタクシーようの自動車に乗りこみ、あらかじめその車内に乗つていた通称ジミー(またはジヤニー)なる者の言うがままに同市内の三笠公園におもむき、同公園入口付近で待ち合わせていたものと思われる色眼鏡をかけた日本人の男と出合い、被告人がさし出した現金三、〇〇〇円と引換えに同人から本件大麻二袋をエリスとともに受け取つたことが認められる。したがつて、原判決のいう仲介者らとは右チヤリー、およびジミーらを指称するものと思われるのであつて、原判決には所論のような事実誤認は認められない。また、所論は、被告人は、本件大麻を手にしたことがなく、エリスの検察官に対する各供述調書、被告人の前記司法警察員ならびに検察官に対する各供述調書の間には矛盾があり信用できない、と主張する。なるほど、被告人が同公園で警察官による職務質問を受けた際、みずからは大麻を所持していなかつたこと、をた、エリスの検察官に対する各供述調書、被告人の前記司法警察員ならびに検察官に対する各供述調書の間にじやくかんその供述の一致しない点があることは所論のとおりであるが、それにもかかわらず本件事案における主要な諸点すなわち、被告人が、あらかじめ大麻を入手する意図のもとにエリスとその意を通じ、前記チヤリーおよびジミーらの仲介により、三笠公園で被告人が現金三、〇〇〇円を支払つて氏名不詳の色眼鏡をかけた日本人の男から原判示のような大麻二袋を買い受け、二人で分配する考えであつたが、たまたまその直後、警察官の職務質問を受けた際には、エリスが右大麻二袋を所持していて、被告人自身は、これを手にしていなかつた、という経緯については、各供述は、いずれも一致しているのであるから、原審、および当審における被告人の供述を他の関係各証拠とも対比してできるかぎり慎重に検討してみても、なお原判決に事実の誤認がある、ということはできない。
次に、所論は、本件は、いわゆるおとり捜査によるものであつて被告人には犯意がなかつた、と主張する。
いかにも本件については、原判決も詳細に説示しているとおり、いわゆるおとり捜査すなわち、捜査機関またはその依頼を受けた者がおとりとなつて被告人らをわなにかけて検挙したのではないかとの疑いがきわめて濃厚であることを否定することができない。そして、犯罪の捜査は、あくまでもすでに発生した犯罪についての捜査でなければならず、おとりを使つて国家みずからが犯罪をつくり出すということは、国家権力の発動としての犯罪捜査本来の職分をいちじるしく逸脱するものであつて、みだりにこのような方法をもつて犯罪を誘発し、これを処罪するということは、ひいては裁判の公正を害するものといわざるを得ない。したがつて、おとり捜査によつてはじめて犯意が誘発されたばあいには、その方法によつて得られた証拠の証拠能力等に関連して、種々困難な問題を生ずる余地もありうるわけであるが、これと異り当該犯人がすでに犯行を決意し、みずからその機会をうかがつているようなばあいには、それについての捜査がいちじるしく困難な特殊な犯罪にかぎり、未然にこれを防止するためある程度の詐術を用いることは、これを許容されてもやむを得ないものがあると思われるのである。これを本件についてみると、原判決も説示しているとおり、被告人は、本件大麻取引の仲介者とみられる前記チヤリーらに声をかける以前からすでに、エリスとともに、大麻を入手する意思を有し、かつみずからその機会を求めていたことが認められ、たとえ、その間におとり行為が存在したとしても、それは結局被告人に大麻所持の犯意を実行する機縁を提供したにすぎないことになるから、本件のように捜査がいちじるしく困難な特殊な事犯においては、この種おとり捜査の介入があつたからといつて、ただちに被告人には大麻所持の犯意がなかつたとか、あるいは被告人の大麻所持の行為の違法性が阻却されるとかいうことにはならないものといわざるを得ない。(ちなみにおとり捜査についての、昭和二八年三月五日および同二九年一一月五日の最高裁判所の判例は、いずれも犯人がすでに犯行を決意していたばあいのものである。)したがつて、論旨はいずれも理由がない。
控訴趣意第一、の二及び第三、について
所論は、原判決は、被告人の昭和四三年五月三〇日付司法警察員に対する供述調書、および検察官に対する供述調書を証拠に掲げているが、右供述調書の作成に当つて、被告人は、各作成者に対しその英訳文の提供方を懇願したが許されず、しかも、当時被告人は病気あがりで心身ともに疲労しており、一日も早く出所したく心ならずも自供したものであるから、右各供述調書は任意性を欠き、これらを証拠に採用した原判決には憲法三八条一項の違反がある。また、原審公判廷において、弁護人は、右各供述調書の取調べにつき任意性を欠くものとし不同意を述べたにもかかわらず、検察官は、司法警察員に対する供述調書についてのみその作成者を証人に申請し、その任意性を立証しようとしたが、検察官に対する供述調書についてはなんらの措置をも講ぜず、原審は、これをそのまま採用し取調べたうえ、有罪判決の資料としたものであるから、明らかに刑事訴訟法三二二条一、一項に違背した違法がある、と主張する。しかしながら、前記各供述調書をし細に検討し、かつ、原審証人座間清隆、および当審証人山本達雄の各供述に照らすと、両供述調書は、いずれも相当能力のある通訳人を付して作成され、かつ当該通訳人によつて逐一これを被告人に読み聞かせたところ、いずれも誤りのない旨申し立て署名したことが認められるから、これらの供述調書は、適法な手続にしたがつて作成されたものであり、たとえ、英訳文が作成されなかつたとしても、この点は、被告人の意向をむげに無視したものとは認められないから、もとより違法のそしりを受けるべきすじ合いのものではない。また、被告人がその当時胃の手術後であり、服薬中であつたことは、これを窺い知りうるのであるが、さればといつて、そのために被告人の健康状態が勾留に堪えないほど悪化していたものとは認め難いから、それだけの事情でただちに本件各供述調書が任意性を欠くものと速断することはできない。なお、被告人の供述調書の任意性についての立証責任は、もとより検察官がこれを負担すべきすじ合いのものである。そこで、記録を調べると、原審第六回公判期日において、弁護人は、被告人の司法警察員および検察官に対する各供述調書の任意性を争い、その理由として、「被告人が事実を認めれば簡単に許されるし、罪にもならないとの捜査官の甘言によつて意に反してした供述が相当ある。」という趣旨を述べている(記録一二〇丁表ないし裏。)。ところが、肝じんの被告人本人は、原審第一四回公判期日において、司法警察員に対する供述調書に署名した事情として、「供述調書に署名しなければ裁判官が保釈を許可しないといわれたので、自分としては、保釈で出るためにはどのような供述調書にも署名しようという気持になつた。」という趣旨の供述をしているけれども、検察官に対する供述調書については、少なくとも前記弁護人の主張にそうような趣旨の具体的な事実はなにも述べてはいないから、右検察官に対する供述調書に関するかぎりは、前記弁護人の任意性についての主張は、すでにその前提を失うにいたつたものといえないこともないから、この意味において原審検察官は、司法警察員に対する自白調書の関係で当時被告人の取調べに当たつた座間清隆を証人として申請したにとどまり、検察官調書の関係においては、その任意性の立証として、前記被告人本人の供述以外にさらに別個の証人申請までをしなかつたものであり、原審裁判所も、また、この趣旨において右検察官調書の任意性を認めるに妨げないものとしてその証拠調べを行なつたものと推認されるのであるから、このような事情のもとにおいては原判決が、被告人の検察官に対する自白調書を証拠として採用したからといつて、それが訴訟手続の法令に違反したものとは解されない。もつとも、被告人は、原審における右供述の際、検察官に対する供述調書の内容は全部にわたつてまでは読み聞かされていないとか、自分の言わないことが書いてある、とかいうような趣旨のことも述べているのであるから、原審裁判所としては、あらためて弁護人に対しその任意性を争う理由を釈明したうえ、検察官に対し適当な立証を促す等の措置をとるべきであつたと思われるのに、それをしなかつたことについては尽すべき審理を尽さなかつたとの批判もありうるとは思うが、当審における証人山本達雄の取調べの結果によると、被告人の右検察官に対する供述調書の任意性は十分これを認めることができるから、仮りに原裁判所のとつた右措置に尽さないものがあつたとしても、その瑕疵は、原判決に影響を及ぼすものではない。以上の次第で、いずれにしても、原判決が被告人の捜査官に対する各自供調書を証拠として採用したのは相当であつて、所論のいうような憲法違反、あるいは刑事訴訟法違反のふしは認められないから、論旨は理由がない。
よつて本件控訴は理由がないから、刑事訴訟法三九六条によりこれを棄却することとし、主文のとおり判決する。